独女のスキルス胃がん日記♪

体の状況などをお伝えします。
あと日常の色々♪

リカバリールームの話

父が帰ったあと、38℃越えの熱が出てずっと熱い。(手術後はそういうものらしい)
喉も痛くて声がかすれてる。そして手と足しか動かせない。足には術後の血栓防止(だっけ?)のマッサージ機みたいのがついてるので動かしづらい。
寝がえりうつのがもう一苦労。
携帯もなく天井をみつめるだけ。


手術後はナースステーションの横の、リカバリールームという場所で一日を過ごしました。この部屋は男女混合です。
私が入ったときにすでに術後の患者さんとかが何名かいて、カーテンされてたけど多分お年寄り。


いつの間にか尿管の管も入ってるらしく、尿は管を通り下の入れ物に垂れ流し。
尿を出してる感覚はなくて勝手に溜まっていく。そしてその尿を男の看護師が取り換えに来るという。
もうねここまでくると尿くらいどうでもよくなりますよ。
若い乙女なら恥ずかしいと思うんだろうけど、私若い乙女じゃないから(笑)



もうね、1人すごいばあさんがいて、ずーっとナースコール押しっぱなしなのです。
ずっと連打です。
看護師さんも度々来ますが、もうなす術がないんですよ。
全部ばあさんの要求に応えてるのですから。
それでもばあさま、ナースコール押し続けます。すごい連打力です。


多分体の痛みとかより心細いとか寂しいとかそっちなんでしょうね。
分かりますけどもさ、そこはみんな同じ、耐えようよ。頑張れよばあさん。


しかしこのばあさん、ナースコール押しても看護師さんが来ないとなったら、なんと叫びます。
「だれかー助けてよー看護師さんー死んじゃうよー」などと。ずっとです。元気です。


あまりにずっとなので、見かねた私の隣のベッドのじいさんがナースコールを押し、
「ばあさんが呼んでるよ!うるさくてしょうがない」と看護師を呼び、看護師はじいさんや私に寝れないよね、ごめんねごめんねと謝る。
看護師さん悪くないよ。そして看護師さんは「小池さん(仮名)他の患者さんも寝てるから、小池さんも寝ようね」などと言うが小池さん聞いてない。連打。


そしてそれは翌日の朝まで続くという・・・。


その日の真夜中、緊急入院した男の子が同部屋で処置される。
看護師さんはずっと忙しそうに行ったり来たり。
その患者の家族も何人かが出たり入ったりでバタバタ。
家族の携帯が頻繁に鳴る。
そして電話に出てその場で話しだす。
おいおい病室通話禁止ですよー。真夜中ですよー。ちょっと気使ってー。


いやもうね、多分誰も寝てないね。寝れない。ベッドにいながら徹夜ですね。
ただただ朝を待つという・・・。


リカバリールームとはそういう場所。


その後この日小池さん含む私たちを担当した看護師に
「看護師さんあの日大変だったね。すごいね」って言ったら
「大変だったねぇメンタルやられちゃって休みの日に暴れた」って(笑)
素直な看護師さんに吹き出した。看護師さんも人の子だよ。


手術後の傷写真です。傷と言っても腹腔鏡なのでただの点ですが・・・。
自撮り難しい。右側にも一個穴あります。計4個の傷。

へそにも穴開けたんだよ。

手術の話その②

そして目が覚めた。まだ手術室らしい。人々が機械やら片付けやら色々動いてた。
看護師が「○○さーん大丈夫ですか?」私「はい」と言うが喉が変。のどが痛すぎて咳が出る。そしてなんだか涙が止まらない。なんだこれ勝手に出てくる。
穴という穴から色んなもんが出てるのか?尻からは大丈夫だろうか?
などと余計な心配をしていたら、看護師さんが「手術終わったからね。今お昼の12時だからね」と・・・。


なるほど、予定15時までなのに、だいぶ早い12時ということは手術出来なかったんだな。と思った。


この時点で私の中では、癌は胃の中で留まってて、胃を切除→癌バイバイ
の方向だろうと勝手に思い込んでたので驚きました。
ベッドに寝たまま運ばれて、エレベーターの中で主治医の先生がなんか言ってたけど忘れた。覚えていない。


そのままナースステーション横のリカバリールームとやらに運ばれ、しばらくしぼーっとしてたら父が来た。


なんかがっくりしてる。「大丈夫か?」と声をかけられるが、私はがっくりと背を丸め元気のない父のほうが心配だった。私「大丈夫、喉が痛いだけだよ」


父「毎日神社で祈ってたんだ。死んだお母さんにも毎日お願いしたんだ。でももう神社は行かない。仏壇も捨てるよ。」と言い出した。


父は先生から術後説明を受け、すべてを聞いてきたらしい。


私は仏壇は捨てないでと言ったら
父「手術できないくらいひどいって。全部言わない方がいいかな・・。」
と迷ってるので「言って言って平気。」と促した。


ため息をつき言いづらそうに
父「体中癌だらけだって。転移もしてるしもう長くは生きられないんだよ」とはっきり言ってくれた。


やっぱりそうなのか。そっちだったかと納得した私は「仕方ないよ。でもこの世界で生きていくことが全てじゃないと思うから、私は平気だから。」となんだか宗教っぽいことを言ってしまった。父は「何言ってんだよ」と顔を背けた。


そしてしばらくしてから父はまた来るからと去りました。その悲しそうな背中は見れなかった。


そうか、父は自分の父母、そして妻、さらに娘の死を看取るのか・・
と思うと私は涙が止まらなくなりました。
残される方がよっぽど嫌だよ。父はなんて試練が多いんだ。
私は残りの日々を精一杯親孝行しようと思いました。


幸いぼっちですから(笑)自由だし、自分に子供とかいなくてほんとによかった。
ピッピ(犬)はいるけどね(今は実家)


私の母は36歳くらいで亡くなりました。
早くに亡くなる事って本人も辛いだろうが、残される方もそれはもう苦しい、悲しい出来事です。元通りの日々を過ごせるようになるまではそりゃあもう時間もかかります。


でもいつまでも悲しんでいても成長もない。何事もつらくても乗り越えないと。
それが生きるってことだと思う。
この母の死があったから色々学び、私はこっちの面だけメンタルが強いと思います。母のおかげで強くなったんです。死ぬのも受け入れてます。
むしろ生きてる世界で、残される人、長く生きることの方が試練というか大変なことだと思う今日この頃。


病気ならもう受け入れちゃった方が楽ちん。「なんで私がこんな目に合うの」とか、「私悪いことしてないのに」とか言い出したら周りが大変。めんどくさい。(そうゆう人いたらごめんなさい)それより今を有意義に過ごした方が楽しいはず。


長くなってしまいましたが今回はこの辺で。

手術の話その①

人生初の手術室です。手術室に行くまでの道のり、機械やらなんかいっぱいで初めて見る光景に胸躍る。



そんな私に若くてかわいらしい看護師さんが「大丈夫ですか、手術初めてですもんね。緊張してますか?」と声かけ。私は手術は別に大丈夫なので「大丈夫です」と言いながら部屋を色々見たいからキョロキョロする。ただの挙動不審者。


そして手術部屋に通されたのですが、広い。天井も高い。そこに手術台がぽつん。とにかく広い感じがした。
手術台に乗って、パン1のほぼ全裸状態になり、背中を丸め、麻酔を入れてもらう。背中にカテーテル入れてもらう感覚はとても気持ち悪い感覚。これ好きじゃないわと思った。そして確か痛かった(あまり覚えてない)
背中の処置になかなか時間がかかっていて、まだかなぁと部屋を見回すと、手術チームの先生たちが待ってるではありませんか。手術着を着ててなんかかっこいい!でもこっちあまり見ないでねパン1だから!(見てないから)


ようやく背中の処置が終わり、布をかぶせられ、仰向けになりマスクがあてられると、主治医の先生が来てにこやかに「気分は大丈夫ですか?」だかなんだか言ってたので、私もにこやかに「はい、よろしくお願いします」と言い、看護師さんのはい吸って―吐いてーで意識はなくなった。
胃カメラの時もそうだが、寝てる間に終わるってすばらしいね。しばらくは痛みもないし。でもこれが心臓や脳だったらちょっと怖いって思うかも。


主治医の先生の話を少ししますが、すごくいい先生。ちょっと機械的な所はありますが、優しくて真面目で丁寧。検査室の看護師さんとかに「○○先生が主治医なのー良かったね。一番いいよ」など何人かに言われたくらい。そんな先生。
入院中、先生達の回診があるけど、朝は7時半くらいから、夜も7時半くらいだったりする(時間は多少前後するが)それをほぼ毎日。いつ休んでるのかと思う。朝7時半にもう白衣着てるってことは6時台にはもう病院にいるのかもしれない。ひえー!家を何時に出るんだろう。医者って大変だな。